YDS☆Field 潜り師達の潜水道

YDS☆Field 潜り師達の潜水道

星野 直樹
東京時代

高校生時代家族で来島した石垣島で体験ダイビングに挑戦する。
その時の記憶はほとんどなく、楽しかったのか?苦しかったのか??うまくできたのか?
ダイビングの事は思い出そうとしても思い出せず・・・。ただただ、印象的なインストラクターだけは記憶になりました。宿泊先ホテルに送られる際助手席に座り担当してくれたインストラクターが将来やりたいことがなければ、こんな仕事もあるよ!と名刺をくれ、それは今でも大切に持っています。

インストラクターは千葉県・松戸の暴走族で中卒。僕は東京都・足立区の定時制に通う自動車科高校生。きっと地元が近いということもあり、目をかけてくれました。

専門学校入学

単純な男の子なのですぐにインストラクターになりたい気持ちが芽生え、進路を探していたところ東京・西葛西にある専門学校でダイビングインストラクター科を見つけ入学。
高校が定時制の自動車科と言うこともありダイビングの業界に就職してくれないと就職率が落ちるそうなのでスムーズに入学できず…苦笑

入学後は、カリキュラムにあるいろんなマリンスポーツを経験しましたが、もうインストラクター一直線です。授業は、ダイビングの事や、気象学、経営学、器材など学びましたがほとんど身になっていません…

月に一度の東伊豆城ケ崎海岸が実習先で東京駅からダイビング器材を持ち東海道の鈍行で通ったのを覚えています。実習に行っても僕たちのやることは、マスク脱着、ホバーリング、レギュレーターリカバリー、素潜り、平行潜水など体力トレーニングやスキル練習ばっかりで全然ダイビングが面白くなく…辞めてく人間もたくさんいました。とにかくスキルばかりで2年の夏前までは、伊豆によくいるミギマキという魚とソラスズメダイしか知りませんでした。

専門学校2年の夏

企業研修で訪れた石垣島でマンタと再会する。

石垣島の師より

「マンタを見た時の感動がない奴は、マンタを魅せても感動を与えることはできない。」

見せるではなく魅せる。益々ダイビングにはまるというよりはインストラクターという仕事にはまっていきました。

就職
ダイビングスタッフ

専門学校卒業時、石垣島に就職するか都市型に就職するか悩みに悩んだ末、都市型のショップへ就職することに決めました。石垣島に行きたい気持ちはありましたが、講習や器材販売の勉強と、もっと違う場所も見たかったからです。石垣島だけに拘らず。

いつかは石垣島へ渡ることも決めていたので、小さなお店に就職するよりはコースディレクターが5人以上、器材量販店数店、旅行会社、リペアセンターをも自社で持つ大手のショップを選びました。石垣島に渡った時に大手ショップの方が武器にできると思ったからです。

ここでの出会いは10年経った今でも続いています。
出勤初日、渡されたのはダイビング器材メーカーのカタログ20冊以上…当時はまだカタログでした。とにかくこのカタログを丸暗記してきなさい。と…。 Sプロの特徴、マレスの特徴、Bismの特徴…通勤電車では、ずっとダイビング器材の勉強でした。カタログを一通り覚えると今度はPADIのマニュアル丸暗記…苦笑
インストラクターは全てここに入てる。こめかみを指でトントンしたのを今でも覚えています。海には週末だけ伊豆に通い、講習と器材販売の経験を積むことができました。この3年間は今でも凄く役に立っています。

今だからこそ石垣島でも講習やシュノーケリングが開催されていますが、僕が初めて来た15年以上前は、ファンダイビングがメイン。シュノーケリングって何??その辺で勝手にやって!そんな時代でしたからね。

石垣島へ

そんな大手ダイビングショップも不景気のあおりを受け倒産。22歳で会社が倒産し、これも一つのきっかけということで兼ねてより目標だった石垣島へ移住。

体験ダイビングを担当してくれたインストラクターに出会う。
風貌、特に髪型は変わっていましたが、声や雰囲気ですぐにわかりました。アッこの人だ。 その人に聞いたところもちろんおぼえてなく、そんなこと俺言った??苦笑
いまでも良くしてくれる大先輩です。

市街地のショップで勤務
ダイビングスタッフ

石垣島の市街地にあるダイビングショップで3年間勤務する。

主に船長、シュノーケリングや体験ダイビング、PADI講習、ファンダイビングを担当する。東京時代とは違い毎日が海です。年間2,500人以上来店する人気店です。お客様のいない日がない大忙しの毎日でした。オーナーは、いくらインストラクションが出来ても船長一つできなければ一人前ではない!!という考えの人でしたので、操船技術を一から教えて頂き、2隻所有でしたがどちらも操船できるようになるまで教えて頂きました。

「やまだて」に関しても、俺と同じことができるようになってからオリジナルの「やまだて」を覚えなさいと言われ、「やまだて」のみで同じ場所に停められる技術が身につきました。というよりGPSなんてついてないので覚えるしかなかったですけどね…苦笑

大型のダイビング船に乘ってみたく、大きなダイビング船を所有するダイビングショップで1年間勤務する。主にファンダイビングを担当させて頂きました。もうこの頃には独立を考えていたこともあり、大型船やタンク充填などを経験させて頂きました。

結婚を機に独立

2009年 石垣島市街地に「八重山Diving Service Field」創業。

現在に至る

ダイビングスタッフ
今後の目標
  • 石垣島初オンラインショップ設立
  • 法人化
  • ハード面、ソフト面の充実
  • 日本の七大都市に支店を出す
山口 美生
幼少期

海なし県の群馬県にいながらも子供のころから海や海の生き物が大好きで、その中でも『イルカ』が一番大好き!!!小学生のころから『ドルフィントレーナー』になることが夢でした。

ダイビングとの出会い
ダイビングスタッフ山口 美生

高校卒業まで夢は変わらず『ドルフィントレーナー』!!!
そんな夢を目指し、東京にあるドルフィントレーナーの専門学校へ入学。イルカのことはもちろんのこと、海のことから生物学、行動力など。様々なことを学ぶ中、授業の一環で『ダイビング』に出会いました。初めてのダイビングは、5月に伊豆大島でクラスのみんなとライセンス合宿!!今思えば寒かったはず・・・。無知って怖いですね・・・笑

でも、みんなで苦手な所をお互い励まし合いながら仲良くワイワイと。
海洋実習ではエキジット後にシリンダーを背負ったまま入口の坂をダッシュで競争なんかして今思えば若かったな。。。笑
今まで知らなかった海の世界や友人と潜ってこの感動を共有できることも何もかもが楽しくそのままダイビングにはまりました!!

ドルフィントレーナーの道へ

学生時代はダイビングにはまり、ドルフィントレーナーの道とダイビングインストラクターの道で迷っていた時期もあり、ほとんどの研修先はダイビングショップ。 ゼミもダイビングゼミと今思えばダイビング寄りの学生生活だったのかも!!そんな専門学校2年の夏。

ダイビングショップが経営しているイルカの触れ合い施設に研修に行き恩師のトレーナーと出会い、やはりイルカの仕事がしたいとドルフィントレーナーの道へと進みました。 その後、伊豆にあるその施設に就職。ドルフィントレーナーとしての一歩を踏み出しました。言葉の話せないイルカたちとのコミュニケーションや体調管理、イルカと人(ゲスト)の間にたつことの難しさなど大変な面も多い仕事ではありましたが、彼らの個性豊かな性格や感情に私自身助けられることも多くありました。

また、お客様に彼らの良さが伝えられ、イルカにも海にも興味を持ってもらえることの喜びも知れ、人としても大きく成長させてもらえた6年間でした。 その間ダイビングも作業や趣味で続けてはいましたが、周りのプロのすごさに圧倒され、私は『趣味のままがいい』と思い過していました。

石垣島へ

就職後4年目に入る頃、新施設の立ち上げで石垣島へ転勤。人生初の石垣島へ!!
慣れない沖縄生活に不安もありましたがイルカのことだけ考える毎日は楽しく、石垣は思ったより住みやすくすぐに馴染む事が出来ました。

ダイビングの道へ

石垣島生活も3年がたち、ドルフィントレーナーの仕事を辞め、群馬に帰ろうと思っていた頃、たまたま遊びに行ったシュノーケルのお店の方に声をかけて頂き、シーズンだけ働こうと思っていましたが。。。気が付けば1年。。。2年。。。と。。。笑

色々なご縁がありダイビングもやりたいとフィールドを始めたくさんの先輩方からご指導頂きどんどんダイビングの楽しさを知る事が出来ました。
また、お手伝いの頃から各ショップお客様からもよくして頂き『やってみようかな?』から『やりたい!!!』と気持ちも固まり今があります。

今後の目標

今後は一人でも多くの方に『楽しかった!!』『また海に行きたい!!!』と言って頂けるよう海の魅力、生き物たちの魅力をさらにお伝え出来る様に、私カラーのガイドをしていきたいと思っています。

まだまだ練習中ですが、今年はカメラにも力を入れていきたいと思っていますので海から上がってもお客様の皆さんと海の話や生き物たちの話など写真を交えながらできたらな♡なんて思っています。これからもこんな私ではありますが宜しくお願い致します。

PAGE TOP